自然の生命・いのちとして生きる・・・心の解放への旅・・・

自然の生命・いのちとして生きたい。ブログは私の心の解放区。

給料日には本を買って珈琲を。

私は、給料日には、自分にひとつだけ贅沢をゆるしています。それは、読みたい本を思いのままに買って、喫茶店で読み耽るのです。

今日はこの3冊を買いました。

「翔んで埼玉」魔夜峰央
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの」松尾豊
「思考は現実化する」ナポレオンヒル財団

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チョイスに色気がないですね。
しかしどの本も面白くて大満足です。
しばしこの愉悦の時を楽しみます。  

翔んで埼玉面白いなあ・・・
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3冊、読了したら、また書評でも致したいと思います。

医療フリーアクセス

日本では、かかりたい医者を自由に選ぶことができる。東京で病気になっても、新潟の医者にかかりたいと思えばかかれる。そしてどの医者にかかっても、同じ治療を受ければ原則同じ診療報酬で計算される。これが、医療のフリーアクセスといわれるもの。当たり前のようだが、世界的に見るとそうでもない、日本人の受けている恩恵の一つと言ってよいと思う。

 

例えば、イギリスでは20世紀末までは、家庭医制度が導入され、自治体が一般医(GP)を、地区全体の家庭医として指定する制度だった。国民からの不満がつのり今はこの家庭医制度も改革されてきているが、ほんの近年までプライマリー治療のドクターは自由に選択することができなかった。

フランスでは、基本的にフリーアクセスだが、開業医の診療を経ずに病院で初診を受けると医療保険の給付率が引き下げられるという制度がある。

欧米諸国では、程度の差あれ、初診は地域の診療所にかかることが定着しており、日本のように初診から病院も含む選択肢を持つことはないようだ。

 

日本では病院・診療所側からみても、外来・入院双方での収益確保モデルも持つことができる。人気病院での混雑や診療時間の短さ等の弊害はあれど、医師を自分で選ぶことができる自由が与えられているというのは、ポジティブな権利保障であると評価できるかもしれない。

 

 

psychological trauma

自分の心がいろいろなトラウマにしばられている。のは良く分かっている。

抱えているトラウマが強く、癒されない自我が強ければ強いほどに、脆弱な私は、自分を糊塗することに必死になる。人を憎んでみたり、過食してみたり、それはすべて、自分のトラウマからの回避行動のような気がしている。

この感覚から自由になれるときがあるとしたら、どれほど良いだろうと夢想することは多い。そして同時に、私は、その自由をとても恐ろしいもののように感じている。つまり、もはや私自身のパーソナリティと一体化したほどのトラウマを引きはがした時の自分自身がどのようであるか、まったく不明瞭で、自信が持てないのだ。

愛したいという渇望がとても強いのだが、愛すれば愛するほどに、自分が正しく愛しているのか不安になる。

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愛や、幸せ、自由といった言葉の本質を、私はおそらく生まれ落ちたときに知っているはずなのだが、まだ分からないことばかりだ。

ぐちきんし

自分の言動に責任を課し、それを逃げずに背負ったうえで、未来への前向きな展望を持つのなら、どんなネガティブな情報の共有も、前進のための問題提起になる。

無責任に、後ろ向きに、だらだら情報を共有するのは愚痴であり

愚痴はなんにも生まない。
ただ、どす黒くなるだけ。

つまらないだけ。

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今の仕事を選んだ理由

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」

私はずっと学業しながら仕事してる。いまの仕事を選んだのは、通信大とか講座に行かせてくれるから。スクーリングのときは休みくれやすいし。だから専門職選んだ。あと、おかねのことが苦手だから、社会事業系の経営母体を選んだ(お金くさくないところ)

 

なんで勉強するかというと、(そんなに勉強たいしてしてないけど)なんか、せずにはおれないからという、曖昧模糊とした理由。純粋に、勉強が好きなんて、言えたならいいけれど。たぶんそんなにかっこいいものじゃない。でも、勉強せずにはおれない。っていう感じはすごくある。死ぬまで勉強してたい。そんな私の最近のブームは交流分析。Games People Play 読んでる。ちまちまと勉強して、40くらいまでには脱サラして臨床心理士取りたい。それで臨床するかって、たぶんしないんだけどな。

 

とにかく、わたしの、今の仕事を選んだ理由は、そのようなものである。

C301T

C301T。

わたしが学生時代いちばんお気に入りだったケイタイ。

インプレスのサイトより画像お借りします。

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オレンジ色を持ってた。

かわいいスケルトンカラー。

 

手でピコピコ、ボタンをおして着信音をつくった・・・。

 

安っぽい。それがゆるされた。

つまり、ケータイとかPHSとかっていうのは、

生活のあくまで付属品だったので。。。

オモチャに近くてもよかったんだ。

 

いまスマホじゃそうはいかない。

本格的、日常のあらゆる場面でニーズをみたすための、

最先端で高機能で完璧を目指されたプロダクト。

こっちが不完全・・・人間が・・。不完全・・・。

まるでスマホで自我を拡張してどうにか都市を生き抜いているような。

もうこのままの人間の肉体ではこの世界を生き抜けないような。

そんな気分にさせられて。

いつも、

憂鬱になる。

 

あのころはよかったかもしれない。

ちゃっちいスケルトンカラー。

しょぼい着メロ。

おもちゃみたいなケータイで、

大好きな人からの連絡を待ってた。