高円寺(喫茶とタイ料理)
アダルトチルドレン・回顧録(1)
自他ともに認めるアダルトチルドレン(機能不全家族で育った)な私。
自分をコントロールするのにはてしなく労力をつかい生きている。
今、ありがたい、とても幸せで感謝の日々の中にいる。
愛をたくさん教えていただいて、心にたくさんの喜びがある。
それでも、いつも心には、なかなかとれない悲しみもある。
自分のこれまでをブログに書くことで、少しずつ心の整理してみようと思う。
おかげさまで強くなれてきた今だから、
心の整理ができるかもしれない。
未来への希望の為に、過去をひもといてみる。
そういう話が苦手な方は、このページを読み飛ばしていただけたらと思う。
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<記憶>
子供の頃は父親(自営業)が毎日朝から15時頃まで酒を飲む。
母親はずっとその相手をしている。
父親は飲酒しながら頻繁に暴言や暴力をする。
大きなビール瓶や、手あたり次第の皿や食器を投げつける。
家には父の怒鳴り声と、皿の割れる音がする。
母はじっと押黙っている。
私は母が心配で学校へ行かずその場にとどまっている。
まるで自分がこの場に存在しないような、ふわふわした感覚でただ座っている。
学校では当然出席しない問題児となる。
私は不良でもないのに、つじつま合わせに不良のふりをして、
教師からも憎まれるようになった。
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父親は夕方に家を出て、夜遅くまで帰らない。帰宅しないことも多い。
外に愛人がいるのだ。
母は父が出かけた後は、私をつかまえて、夜中までずっと、
嗚咽しながら、
「もうつらい。離婚したい。でもあんたがいるから離婚できない」
と言う。
私はずっと、ずっと、それを聴く。
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やがて私は思うようになった。
「私がいるから、お母さんはお父さんと離れられないのか」
「私のせいで、お母さんは不幸なのだ」
と・・・。
それはすごく悲しい、つらい感覚で、
「私は生まれてこないほうがよかったのだ」
と毎日、思うようになっていった。
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ここまでしか今日はかけないので、続きはまた書きます。
ところで、私の職場には野鳥が遊びに来る。
とてもかわいい・・・のです。
(*OvO*)
nordisk vaseline
医療フリーアクセス
日本では、かかりたい医者を自由に選ぶことができる。東京で病気になっても、新潟の医者にかかりたいと思えばかかれる。そしてどの医者にかかっても、同じ治療を受ければ原則同じ診療報酬で計算される。これが、医療のフリーアクセスといわれるもの。当たり前のようだが、世界的に見るとそうでもない、日本人の受けている恩恵の一つと言ってよいと思う。
例えば、イギリスでは20世紀末までは、家庭医制度が導入され、自治体が一般医(GP)を、地区全体の家庭医として指定する制度だった。国民からの不満がつのり今はこの家庭医制度も改革されてきているが、ほんの近年までプライマリー治療のドクターは自由に選択することができなかった。
フランスでは、基本的にフリーアクセスだが、開業医の診療を経ずに病院で初診を受けると医療保険の給付率が引き下げられるという制度がある。
欧米諸国では、程度の差あれ、初診は地域の診療所にかかることが定着しており、日本のように初診から病院も含む選択肢を持つことはないようだ。
日本では病院・診療所側からみても、外来・入院双方での収益確保モデルも持つことができる。人気病院での混雑や診療時間の短さ等の弊害はあれど、医師を自分で選ぶことができる自由が与えられているというのは、ポジティブな権利保障であると評価できるかもしれない。